仕事のフィールドを一つに絞らず、兼業や副業の形態も広がっている。
粟津大慧弁護士は浄土真宗僧侶の顔も持つ。いずれの仕事も人に向き合って悩みを受け止めることで共通している。
檀家の悩みごとを僧侶として聞きながら、法的解決が望ましい場合には、途中から法律相談に切り替わり、弁護士として問題解決に導くこともある。
今年4月からは生まれ育った広島県にUターンして法律事務所を構えた。
粟津弁護士にとって、12月は忙しい師走でもあり"士走"でもあった。この1年で出会った人たちの顔を思い出しながら、除夜の鐘をつくと語る。(聞き手:弁護士ドットコムニュース編集部・塚田賢慎)
●手の届く範囲だけでも力になりたい
粟津弁護士が生まれ育ったのは、1500年代前半に創立された広島県安芸高田市の教善寺。
紹介するサイトには「 代々貧乏寺なので自慢できるものは何も無い」「代々無能なので自慢できるようなことは何もしていない」というシニカルなメッセージが書かれている。
それを書いた住職(父親)の背中を見て育った粟津弁護士は、せっせと掃除に励んだり、法要の手伝いや檀家との付き合いを通じて、自然と「親に言われるまでもなく、いずれは寺を継ごう」という思いを育んだ。
教善寺(粟津弁護士提供)
「檀家さんがすごく良くしてくださって、助けられてばかりだと思っていました。そのため、檀家さんらが生きていく中で直面するトラブルやお困りごとがあれば、私の手の届く範囲だけでも力になれるような生き方がしたい」
そのような思いからお寺と両立できる自営業でもあり弁護士を志したという。
司法試験に合格して弁護士としてデビューした神奈川県では、行方がわからなくなっていた相続人を忍耐強く追いかけて、3年以上かけて遺産問題を解決したこともある。
仕事の仲間にも恵まれ、充実した日々を送っていたが、数年前に発生した土砂災害によって寺の蔵が倒壊してしまったことなどを受けて、「早く近くで支えたい」と今春に広島で独立した。
日ごろは弁護士として活動しながら、寺が忙しくなれば、袈裟を着て僧侶になる。
●曖昧な世界に明確なルールを作る
相談者が抱える問題を解決するのは、僧侶も弁護士も同じだ。
「檀家さんからお悩みを聞けば、そのまま法律相談に切り替わって、弁護士として正式に依頼を受けるケースもあります」
また、僧侶であり寺院法務にくわしい粟津弁護士を頼って相談が持ちかけられることも少なくない。
「人口減少とともにお寺を続けられなくなったお寺もあります。このような宗教法人の解散のほか、宗派からの離脱などのご相談もあります」
また、寺院運営に関する相談も多々寄せられる。
「一般的な企業法人内部のトラブルと変わらないところもありますが、各お寺・宗教法人ごとに特殊性を踏まえて解決の道筋をつけなければなりません」
生じやすいのは墓地関連の問題もそうだ。
「古くからの寺院墓地はお寺と檀家さんの個人的な関係で続いてきました。はっきりとした規則も定めていなかったのが、時代が変わってきて、墓地使用規則をつくる必要もあります。ルールが不明確なところをクリアにしていくのは弁護士として役立てることです」
●お寺の鐘をつく弁護士
大学進学で上京してからも、年末年始には必ず寺に帰ってきた。昔から除夜の鐘をつくのは粟津弁護士と姉の役目だったという。
雪の降る寒さに白い息を吐きながら、鐘をつく。大晦日の参拝客も最近は少なくなってきた。
お寺のおつとめに励む粟津弁護士(本人提供)
108の煩悩の数だけつくとも言われる除夜の鐘だが、「うちの宗派では、何回ついたっていいんです。気づけば108回を越えていることもしばしばです。つくことで煩悩が消えるわけでもありません」とほほえむ。
「浄土真宗の開祖、親鸞聖人の教えは『煩悩を滅することができない、愚かな我々を見つめ、そのような我々が救われていく世界がある』というものです。自分にも人にも完璧を求めません。煩悩を抱える自分を認識しながら鐘をつきます。
今年は広島で事務所をスタートして、いろんな方に支えてもらったことを振り返り、来年に向けて気持ちを新たにしたいと思います。つき始めたら、寒いなあとしか思わないかもしれませんが笑」
僧侶として生きるうちに「一つの考え、自らの考えに固執することなく、さまざまな視点でものを見るのが得意」になった。それは弁護士の仕事にも役立っているのではないかと感じている。
「私も煩悩を抱えていますし、弁護士の仕事で相手にするのは間違いだらけの泥臭い人間です。思い悩む人の力になりたいと思います。僧侶としてだけでなく、弁護士としても向き合いたいです」
今年も早めに寺に戻り、掃除、餅つき、大晦日に向けた準備を進めた。粟津弁護士に救いを求める人は引きも切らない。弁護士としての仕事納めはなかなか済みそうになく、ノートパソコンは寺に持ち帰った。